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「本能寺の変」の焼け瓦

  • 2007/08/08 09:14
  • Category:
あの『本能寺の変』のですよ!
焼けたお寺の瓦が見つかったんですって。
もう、驚きです。


出てきたのは、本能寺の跡地で。
マンションを建てるので、発掘調査をしていたところ、焼けた瓦がたくさん出てきたんだそうです。


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2007年8月7日 asahi.com
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200708070083.html

「本能寺の変」の焼け瓦見つかる 
京都で発掘


 織田信長が明智光秀に謀反を起こされ、自害したとされる「本能寺の変」(1582年)で焼けたとみられる瓦や堀跡などが、京都市中京区の旧本能寺跡の発掘調査で見つかった。旧寺をはっきり示す遺物や、本能寺の変の焼け瓦が見つかったのは初めてという。

 関西文化財調査会(京都市、吉川義彦代表)が7月下旬から、マンション建設に伴い、同市中京区西洞院通六角下ルの旧本能寺跡の一部分とみられる約130平方メートルを調査していた。

 瓦は、石垣が積まれた幅約6メートル、深さ約1メートルの堀の跡から、16世紀中頃の土器と共に出土した。ヘドロの中に大量に埋まっており、堀を埋めるために投げ入れられたとみられる。赤茶けた焼け瓦や本能寺を表す「●」(「●」は「能」のつくりが「去」)とデザインされた丸瓦もあった。本能寺は度重なる火事で「ヒ(火)」を嫌い、「能」の代わりに「●」を使っている。

 焼けていない瓦もあり、吉川代表は「本能寺の変の火勢はそれほど強くなく、すべてが焼け落ちたわけではないと推測できる」と話す。今谷明・国際日本文化研究センター教授(中世史)は「本能寺の周囲に堀と石垣が見つかったことも、信長が防御に力を入れていたことを示しており興味深い」と話している。
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京都に歴史があるということはわかっているし、街中掘るとあれこれでてくるということも想像していたけれど、「本能寺の変の焼け瓦」がでてきちゃうなんて、私、ほんっとにすごいところに住んでるのですねー。

子供のころ、歴史にまったく興味がなくて、未だに歴史に超疎い私ですが、京都で育っていたら、歴史に興味を持てただろうなと思います。
だって、歴史的事件が、すぐそこで行われていたりするんですもの。

逆かな。
あまりに身近だから、“歴史”って感じがしなくて、やっぱり興味が沸かなかったかも。

どちらにせよ、だめだったかー。


京都新聞の記事もおもしろかったので、載せておきます。

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2007年8月7日 京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007080700031&genre=M2&area=K1C

本能寺の無防備覆す
信長が“城塞並み”防御か


旧本能寺の堀跡で見つかった石垣(京都市中京区)
 京都市中京区の旧本能寺跡で、「本能寺の変」の直接の証人というべき大量の焼け瓦が見つかった。瓦が埋まっていた堀には、堅固な石垣が積まれ、境内全域ではなく特定の建物を守る堀だったとみられる。織田信長が全く無防備の状態で襲われたのではなく、城のように防備を固めていた可能性が出てきた。

 本能寺の変は、毛利攻めを命じられた明智光秀が謀叛(むほん)を起こし、1万3千の兵を率い就寝中の信長を襲った。信長はわずかな手勢で防戦したが自害、本能寺は炎上した。謀叛決行前、光秀が「敵は本能寺にあり」と配下に告げたとも伝わる。

 ほぼ同時代の京を描いたとされる上杉本洛中洛外図(国宝)で、本能寺は瓦ぶきと板ぶきの建物が2棟ずつ描かれる。境内全体を囲む堀があったとみられるが、細かい部分は雲で隠れ、境内に堀があった可能性は知られていなかった。

 調査を担当した関西文化財調査会の吉川義彦代表は「石垣の丁寧な造りは職人技」と驚く。今回、境内の内側にも堀が見つかったことで、二重の堀を持つ堅固な寺だったことになる。

 本能寺を含む京の法華寺院は、町衆の信仰を集め繁栄したが、比叡山延暦寺の怒りを買い、1536年、天文法華の乱でことごとく焼かれ、その後、再建された。

 今谷明・国際日本文化研究センター教授は「比叡山ににらまれていた再建時の法華寺院は、境内に堀は造れなかったはず。信長が寺を城塞(じょうさい)化するために造った堀だろう」とみる。堀は、掘った土砂を積み上げた土塁を伴うのが一般的だ。今谷教授は「堀や土塁で館を囲み、僧侶らが入れない特別な空間をつくっていたのだろう」と、信長が最期を遂げた館が堀の近くにあったと推測する。

 一方、西川幸治・同センター客員教授(都市史)は「防御施設にしては中途半端で、信長のパワーにふさわしくない。天文法華の乱を経験した寺側が設けたものではないか」と話す。

 いずれにせよ、信長の居館が堀や石垣で囲まれていたとすれば、映画などで描かれた本能寺の変のイメージは根底から覆ることになりそうだ。
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Comment

oshipin

ほんと歴史って面白いですね。

私の住んでる茨木市でも色々縄文時代や弥生時代の遺跡が市内の建築現場から出土することが在ります。

隠れキリシタンなんかの遺跡なんかも未だに在りますよ。
  • URL
  • 2007/08/08 11:43

三符

ひえぇぇぇΣ(゜Д゜;ノ)ノ
すんごーい!!

ワタシも京都に旅行に行ったとき
ここを源氏と平家が・・とか
何百年も前の人もここをみたんだなぁ・・
とか考えてました。

歴史が今まさにそこに埋まってたんですねー
shiollyさんすごい所に住んでますね(*´▽`*)
  • URL
  • 2007/08/08 14:22

ゆずぴ

すごーい!
歴史はやっぱり事実としてあったことだと
再認識ですね。
やっぱり京都って別格って感じします。
修学旅行で1度行ったきりなので行きたいです。
  • URL
  • 2007/08/08 16:14

shiolly

*oshipinさんへ

高槻はキリシタン大名の町だと聞きましたが、茨木もそうなのですか?

「掘ると出るから掘らない」と京都では言うそうですが、ほんとにそうなんだなぁと実感するできごとでした。
歴史に興味も沸いてきましたよ♪

shiolly

*三符さんへ

京都ってほんとにすごいところですよね~。
私は修学旅行で来たころは、三符さんのようなアンテナはなかったな。
どーやって遊ぶか、ばっかり考えてました。

「本能寺が京都にある」ってことも、ついこの前知りました。笑。

3年住んでてもたいして観光していないので、ちゃんと見て歩きたいなと思います。

shiolly

*ゆずぴさんへ

私は中学も高校も、修学旅行で京都に来ました。
それ以来京都に来たことはまったくなく、記憶の向こうにあったのですが、
中学の修学旅行の時に宿泊したホテルの目の前を通ったときは、
なんかいろいろとフラッシュバックしてきましたよー。
うおぉぉ!!ここ、来たことあるぅ!!!って。

今や、そこに住んじゃってますからねー。
人生、何が起こるかわかりませんっ

京都、ぜひいらしてくださ~い。
あ、真夏と真冬は避けたほうが身のためですよーww

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プロフィール

shiolly

Author:shiolly
2004年、東京都の多摩地区から京都市に転居。
夫と猫(小染ちゃん)との3人生活を楽しんでいます。

ピアノとカメラと、シール作りが趣味です。

2008年4月から、写真教室に通っています。
ピアノはかれこれ30年は弾いているなぁ…。

カレンダ


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